チェロに求めるものは万理に通ず
なんでチェロが好きなんだろう。こういったテーマ考えたことありますか。
今、転職を検討しているためか、自分は仕事に何を求めているんだろう、という根本的な事を考えている。そうした時に僕はチェロには何を求めているんだろうか、って思った。
音色が好きだから? ノー、それらはチェロが好きな理由であって、チェロに求めてることではない。いい音色聴きたいんだったら自分である必要もない。じゃあ、なんだろう。
僕はひょんなきっかけで大学生から突如チェロを始めた。それまでの音楽経験は、エレキギターでメタルを弾いていたことぐらい。チェロを始める時は、ヘ音なにそれよろしく音符も読めない、拍子も4/4以外理解できないと散々だった。
そんなスタートラインだ。それに加えてやたらめったらチェロが難しい。頭を使わないと弾けるようにならない。むやみな反復練習はあまり意味はない。何が何でできないのかを分解し、どのような練習に取り組めばよいのかを設計する。そしてその設計を実行するために楽器の練習をする。そんな姿勢が必要だ。
ただ、そうやって試行錯誤していると、前までできなかったことがいつの間にかできるようなる。3ヶ月前より今の方が上手いと常に実感している。
「できないこと→原因を多角的に考える→できるようになるための手段を考案する→できるようになる」。この一連のプロセスが好きなんだろうと思う。そしてチェロという楽器の奥深さ、強いては音楽は成長プロセスが絶えることを許してくれない。
加えて、「できる」という定義が音楽は無限だ。音符を並べたらできる? 楽譜通りにしたらできる?
いやいや、僕は聴衆がその一時に価値を感じてくれること。誰かのために演奏して、その人が喜んでくれることが一番。そのために「できる」演奏をしたい。だから音楽を勉強する。楽器を練習する。
果てしないゴールに向かって進む際に伴う成長プロセスを堪能し快感を感じる。これが現時点の僕がチェロに求めていること。
これってきっと仕事でも同じなんだなぁと。
今まで自分を勘違いしていた。仕事受注してお金を持ってきて、適正な評価と対価をもらう。この環境が一番大事だと思ってたけど違うみたい。それは手段のひとつだった。
求めているのは、ありきたりだけど成長できる環境とそれを助けてくれる環境なんだなぁ。