A級チェリストへの道

チェロの上達のちょっとしたスパイスに

音感

最近取り組みはじめた“自分の音をちゃんと聴く”こと。いや、当たり前なんだけど、それができていなかったことを思い知り、ショック状態だけど、なんとか楽器を弾いている。

 

低い音域なら音が合っているかどうかの判断は付くけど、サムポジションから少し行くとかなり怪しい。絶対この音、って確信がない。これってなんでだろか。慣れ?  低いポジションは楽器の倍音頼りだから?

 

今はDmajorスケールをSul-Dで2オクターヴ弾く練習している。01241312-1212123という運指。怪しいのは2オクターヴ目から。凄ーくゆっくり弾くと分かってくるから、一応音感はあるんだと思う。今までの適当練習のツケか?適当なつもりじゃなかったけど、自分の音聴いてなかったよね。

 

まぁ地道にゆっくりスケールを正しく繰り返し弾いて身体に刻んでいくしかない。ああ、気が遠くなる。でもいつか、おお音が分かるぞ!  外す気がしないみたいな状態になることを希望の糧にしてがんばる。

前を向いて弾く

そこのあなた、楽譜ばっかり見て顔が下向いてませんか?  はい、僕もです。

これ、見た目だけでなく音も飛ばなし、アンサンブルではコミュニケーション取れない、と良いこと0、悪いこと100!

 

 チェロはこんな感じで前向いて弾きたいよね。このピアニストや聴衆との会話。素晴らしい。

"Brahms Cello Sonata No.1 in e Minor op.38: Benedict Kloeckner& Yu Kosuge


Brahms Cello Sonata No.1 in e Minor op.38: Benedict Kloeckner& Yu Kosuge- LIVE - YouTube

 

そんなわけで、普段の基礎練習の時から顔は前に向けて取り組みましょう。楽譜とにらめっこはもうヤメ!  どんな音を弾くときもソリスト。他のメンバーや聴衆とコミュニケーション取らないとね。

ドレミファソファミレド

音程の精度が上がらない。こんな悩み、チェリストなら誰しもあると思うけど、凄い発見をした。

 

自分の音を“ちゃんと”聴いていない

 

というのは、先日妻が僕の練習を聴いてた時に、自分の音聴いてる?って言われたことがきっかけ。自分の音を聴いていないわけ無いだろうって思ったけど、音が切り替わる瞬間、確かに最後まで神経が通ってない。。。なんというか、音の開始以外は惰性で弓を動かしてるだけ。

 

えっ?って思って、Amajorの音階を一部弾いてみた。細かく書くと、D線4ポジ1指、3指、6ポジ1指、2指、3指の行き帰りのラシド#レミレド#シラ。一音ずつ耳を傾けて弾く。できない。。。4→6ポジ→4ポジのシフトで音がスムーズでない。なんてこった。

妻にずっとアドバイスもらいながら、ラシド#レミレド#シラを弾くこと60分。きつい、死にそうだ。耳を傾けるだけでこんなに疲れるもんなのか。しかも、すぐに惰性で弾いて自分の音を聴かなくなる。

だが、だんだん良くなっていく。シフトの時が肝だ。自分の音を聴きながら左手の肘に意識を傾け音を繋ぐ。お、いい感じってのがたまに出る。

 

こんな感じでこの何でもないようなスケールを一日60分、3日弾いてみた。驚きの変化が生まれた。なんと、鼻歌のピッチがかなり正確になったのだ!   あんなに音痴だったのに!  そう、 僕は自分の音を聴かないがために、身体に音が刻み込まれていなかったのだ。ああ、今まで一体俺は何を。。。安西先生、音楽を奏でたいです。

 

まだ気を抜くと音聴かない病が発症する。曲練習は大体発症するので、しばらくはスケールばっかり弾こう。おかげであらゆるキーのスケールがとてもキレイになった。なんというか、多分この音合ってる、ではなくて明確にこの音!ってのが分かるようになった。笑  これが音階練習だったのか。。。

また、シフトの際に音を聴くことができるようになったので、フレーズがキレイになった。これを習慣化すればやっと普通の演奏家になれる、かも。

ノビシロですねぇ!

 

 

 

チェロに求めるものは万理に通ず

なんでチェロが好きなんだろう。こういったテーマ考えたことありますか。

 

今、転職を検討しているためか、自分は仕事に何を求めているんだろう、という根本的な事を考えている。そうした時に僕はチェロには何を求めているんだろうか、って思った。

音色が好きだから?  ノー、それらはチェロが好きな理由であって、チェロに求めてることではない。いい音色聴きたいんだったら自分である必要もない。じゃあ、なんだろう。

 

僕はひょんなきっかけで大学生から突如チェロを始めた。それまでの音楽経験は、エレキギターでメタルを弾いていたことぐらい。チェロを始める時は、ヘ音なにそれよろしく音符も読めない、拍子も4/4以外理解できないと散々だった。

そんなスタートラインだ。それに加えてやたらめったらチェロが難しい。頭を使わないと弾けるようにならない。むやみな反復練習はあまり意味はない。何が何でできないのかを分解し、どのような練習に取り組めばよいのかを設計する。そしてその設計を実行するために楽器の練習をする。そんな姿勢が必要だ。

 

ただ、そうやって試行錯誤していると、前までできなかったことがいつの間にかできるようなる。3ヶ月前より今の方が上手いと常に実感している。

 

「できないこと→原因を多角的に考える→できるようになるための手段を考案する→できるようになる」。この一連のプロセスが好きなんだろうと思う。そしてチェロという楽器の奥深さ、強いては音楽は成長プロセスが絶えることを許してくれない。

 

加えて、「できる」という定義が音楽は無限だ。音符を並べたらできる?   楽譜通りにしたらできる?

いやいや、僕は聴衆がその一時に価値を感じてくれること。誰かのために演奏して、その人が喜んでくれることが一番。そのために「できる」演奏をしたい。だから音楽を勉強する。楽器を練習する。

 

果てしないゴールに向かって進む際に伴う成長プロセスを堪能し快感を感じる。これが現時点の僕がチェロに求めていること。

 

これってきっと仕事でも同じなんだなぁと。

今まで自分を勘違いしていた。仕事受注してお金を持ってきて、適正な評価と対価をもらう。この環境が一番大事だと思ってたけど違うみたい。それは手段のひとつだった。

求めているのは、ありきたりだけど成長できる環境とそれを助けてくれる環境なんだなぁ。

『楽譜を読むチカラ』のすすめ

『楽譜を読むチカラ』(音楽之友社、ゲルハルト・マンテル著、久保田慶一訳)を読んだ。

ソロやカルテットをやるアマチュアにおすすめしたい本で、感想を書いてみる。

 

「楽譜を演奏するのではありません。まず楽譜を正しく読み、それからいろんな方法でそれを解釈しなさい。そうすれば、理想とする演奏が見えてきます。そしてこの理想とすべきものを演奏するのです。」(本書引用)

 

上記の言葉を主題として、パラーメータ(リズム、ドゥナーミク、アーティキュレーション、テンポ、音色)ごとに細かく説明や、具体的ノウハウを書いている。

例えばメトロノーミックな演奏とかバカの一つ覚えみたいなクレッシェンドの演奏がなぜ退屈であるかを言語化している。すごい。そしてどうやったら改善するかをパラーメーターごとに事例を出しており、楽譜を読み込む際に非常に参考となる。

 

もしかしたら、専門的に音楽や演奏を学んだ人にとっては当たり前の内容かもしれない。でも、多くのアマチュアの演奏にとって糧となるコンテンツが詰まった宝庫のような本だと思う。

 

指揮者はスコアの読み込みで仕事の8割が終わったと聞いたことがある。室内楽プレイヤーも一緒だろう。プラス演奏があるので5割くらいかもしれないけど。多くのプレイヤーが演奏8割の比重だけど、どう演奏するのかを決める作業の方が大事。そのどう演奏する、したいの欲求を叶える為に楽器を練習するのだ。

なんとなく日々に追われて音符だけを自分の引き出しの範囲の中の解釈でなぞるだけではもったいない!

 

celloレッスン備忘録

◼️右手と左手の独立

ボウイングが左手につられている。それぞれが独立した感覚を持つこと。

特に息が長くて音符が多いパッセージに顕著。

 

◼️重音の移弦

普通のポジション移動と同じ感覚。テンポと同じスピードで移動。

 

◼️三度重音

手の甲の形を崩さない。

5,6ポジは親指を推奨。

 

◼️オクターブ重音

下の音から取る。親指の付け根が痛くなるのは初めはしょうがない。そのうち力まなくなる。

ピアノの先生についた

ピアノを始めてみようと思い、善は急げとばかりにピアノの体験レッスンに行ってきた。

 

ピアノを弾くと言っても、華麗にショパンを弾きたいわけではない。スコアリーディングのためだ。最終的なゴールのイメージは、カルテットのスコアを見てある程度弾けること。インテンポでなくても良い。とにかく曲のイメージなりを掴んだり、仲間に説明できればよいのだ。

 

こういったことを伝えて、何をすれば良いのか先生も一緒に考えてくれた。

で、多声部を弾くトレーニングとして、プレインベンションとバルトークのミクロコスモスの二声から始めることになった。これで横の動きに慣れていこうとという狙いだ。

そのうち縦の動き、すなわち、旋律+和音もやっていく。ペダルを使えるようになるために、簡単なロマン派の曲もやっていく。

 

なるほどねー。こういう考え方で始めていくのか。これはよさそうだということでレッスン申し込み。月3回もあって大変そうだけど、楽しそう。

 

少し弾いただけだが、ピアノはチェロとは使う感覚が違う。多声部を弾くからか曲の全容や響きを掴みやすそうに感じた。それはそれで別の難しさが出てくるのだろうけど、僕が欲しかったのはまさにこれ。チェロに活かされるといいなぁ。

ピアノ弾けるようになりたい

スコアリーディングの本、買ってみた。おおよそ知っている内容で実践していることばかりなのでとりたてて言うことはなかった。

 

が気付いたことがある。僕は構造ばかり読み取っていて、実際の音が頭で鳴っていない。これって一番面白い作業をしてないも同然。指揮科の学生などは、総譜から必要な音を抜き取って大譜表に落とせるだとか。バケモンかよ。

 

この作業ができない理由は、ただ音符が読めないから。総譜から和声とかは読み取れるけど、その響きは分からない。ピアノを弾いて確認すればよいがピアノをちゃんと弾けないのだ。

 

というわけで、ピアノを弾けるようになりたい。ショパンとかベートーヴェンを弾くとかではないし、音楽的に奏でる必要もない。ただ、旋律と和声をゆっくりでいいから弾けるくらい。

 

これできたらめっちゃ素敵だし、曲理解が初めて具体的になる。カルテットの練習でも、響きの確認とか構造理解の説明とかで役立つ。

 

でも、大変だよねぇ。チェロでもやることたくさんあるのに、ピアノ習得って。幸い自宅にピアノがあるから、トライしてみようかな。とりあえず音楽教室にでも行くか。

 

 

スコアリーディングを学んでみる

室内楽をやる上で必要なことの一つにスコアリーディングが挙げられる。

 

コンダクターがいれば組み立てはコンダクターの仕事だ。だが、カルテットなどはプレイヤー1個人が組み立てる必要がある。

自分の楽譜だけ読み取っていては、到底楽曲を弾きこなすのは無理だろう。

 

ではスコアリーディングで何をすればよいのか。僕は全く独学なので、専門の本を読んでみようかなと思っている。

 

今事前にやっている作業を挙げてみる。

1.曲の形式の分解

2.調性の把握

3.主題の把握

4.モチーフの把握

5.自分の伴奏音の和声構造の把握

6.曲全体を通したドゥナーミクの使い方の把握

7.作曲家の時代背景の把握

8.作曲年前後の歴史の把握

 

一応これだけで、曲を立体的に捉えることはできていると思うけど、きっともっと色々あるんだと思う。この作業をすると、曲練習を始める前から曲はインプットされるからとても楽だ。作業自体はとても時間かかるけど。

 

1.2は調べて一覧表を作る。ソナタ形式が多いからこの作業しないと全く構造が掴めず、曲を立体的に捉えることはできない。スコアとパート譜にも各部の始まりはメモる。「提示部、第一主題」「展開部1」「コーダ」みたいに。

 

3.4はマーカーを使ってスコアに書き込む。第一主題は赤、第二主題は青、モチーフは黄色や緑みたいな。結構カラフルになる。

気を付けたいのは、聴いてるだけだと見落とすフレーズがある。モチーフなんかは、反行や拡張されたりするから耳だけだと認識できないことが多い。

この作業をして共有しないと、出すべきフレーズが分からないからこれもマスト。

 

5は和声知識が必要だが、ロマン派初期あたりまでは楽勝。僕はロマン派後期以降になると難しくてもうよく分からない事が多い。

この作業は純正ハーモニーを作るなら必須。大事な音(第3音とか第7音、転調の手前は特に)はスコアにボールペンで丸を付ける。

 

6は作曲家ごとに癖があるから見た方がよい。ベートーヴェンはppからffまでしか使わないし、モーツァルトは何も指示してくれない。ブラームスのスタッカートテヌートは額面通りにスタッカートを付けてはダメだ。

その作曲家の色んな作品に触れ、色んな演奏を聴くのが手っ取り早いがとても大変な作業。

 

7,8は単純に面白い。ラヴェルのカルテットが作られた時代のパリはエッフェル塔がそびえ立ち、鉄道が走っていて、動く歩道がある。あらゆるジャンルのアーティストが集まり盛んにサロンが開かれていた。

 

スコアリーディングを本格的に学んだら、勉強会でも始めれば小遣い稼ぎになりそうな。

 

本番終わった

最近愚痴ってたカルテットの本番が終わった。所属しているオケの発表会に近いコンサートで、カルテットも抜粋の単一楽章。

 

ホールがあまり室内楽向きではなく、個々の音のハーモニーを感じ取りづらかったので、録音を聴くまではどうだったか分からない。

 

演奏していて、3つ良いことがあった。

1.本番だけリタルダンドの具合が絶妙でとても曲に適している雰囲気が出た。

2.1stヴァイオリンのppが素晴らしかった。これも本番だけ出たもの。

3.それっぽい響きの箇所がいくつかあった。これも本番だけ。

 

練習以上のことは本番ではできないと僕は思っている。ただ、今回の演奏は練習では全く意図していなかったけど、やってみたらとても良かったことばかり。ホールの響きに適応して弾けたからだと思う。多分。

 

ここから思ったことは、たまには練習でもホールを使ってみるのも手かなぁと。区民ホールみたいのは安いし、平日の夜だったら予約もしやすい。

 

もちろん課題も残った。

1.弾けない人をどう扱うか

2.音量バランス感覚はどう養うか

 

どちらも自分のことというより、人とどう接するのか。

 

1.弾けない人の扱い

弾けない人というのは、技術的、音感的、音楽的要素のこと。

これからも一緒にやっていくメンバーならちゃんと伝えて、解決ソリューションも示す。ただ、そんな人とはアンサンブルしないのが一番良い。

今回みたいな単発の場合はどうだろう。直して欲しいことは山程あったけど、伝えて理解してもらう作業がシンドい。自分の中に無いことを分かってもらうのは難しいし、受け入れてもらうには人間関係の構築もしないとならない。

今回だけでサヨナラの人にそこまでする労力はかけたくないから、伝える作業を真剣にはやらなかった。どうすればベターなのかは今でも分からない。

 

2.音量バランス感覚

これはどうなって養うのか。編成でも出す音は変えるし、ホール次第でも変える。でもその変えるという判断は、自分の感覚値だ。

今回のカルテットメンバーの一人はアマオケ弾きなのだ。ドゥナーミクを強弱記号として捉える。ホールの一番奥には到底届かない蚊の鳴くようなpp。豊富な響きのmfで、釣り合いの取れない音質を出す。旋律と同じ動きの伴奏だけど、弓の使い方も旋律と合わせない。多分何も回りの音を聴いてないのかも。いや、自分の音も聴いてないような。とにかく一言で言うと無責任サウンド。ハーモニーの一旦を担って弾いてる感性ではない。

これらも全ては感覚の欠如だと思う。どうやって養うんだろうか。

 

ハーモニー感覚も音量バランス感覚も旋律の感覚も、本来誰でも持っているものだと思う。

完全5度を聴いたら気持ち良いと感じる。隣人が大声で話していたら、自分もある程度音量を上げるはず。カラオケに行ってポップスを歌えばサビは気合が入るし、大事に歌いたい箇所もあるはずだ。

 

それが、何故楽器を構えると消失してしまう? 僕の中では解は出ていて、教育だと思っている。

こうしなさい、ああしなさいで教わって、自発的感覚を発信できない人になってしまう。音楽は生み出す行為なんだけど、解が何処かにあって誰かに教えてもらうものだと思っている。なんか日本教育そのまんまだね。

 

音楽だけは、もっと自由に赴くままにやって欲しいなぁ。

押弦

音程は左手、音質は右手。一般的な弦楽器のイメージ。

 

だが、自在な音質をコントロール大前提として、押弦をしっかりする必要がある。

押弦が甘い人には次のような共通項がある。

・ffが出せない

・ppが通らない

・音程がぼやけてる

・音の輪郭がクリアでない

・これらの問題は押弦のせいだとは考えない

・押弦が甘いという自覚がない

 

逆に押弦をしっかりすればこれらはクリアできる。自分もそうだったため、僕は押弦の緩い音は聴いた瞬間分かる。チェロでもビオラでもバイオリンでも。

該当する項目があれば、おそらく原因は右手でなく、押弦にある。これに気が付かないで、右手のせいにしてしまいがちだ。

 

押弦をしっかりするにはどうすればよいのか。僕はレッスンで教わった。

 

1.腕の自重を利用する

2.親指は添えるだけ

3.親指は中指の裏側

4.指は立てる

 

とても合理的で、どれも欠かせない要素だ。ヴィルトゥオーゾ達を見てみれば分かる。構えはみんな違うし、右手のスタイルも様々だ。しかし、左手の形だけはみんな一貫している。

 

ひとつずつつまんでみよう。

 

1.腕の自重を利用する

イメージは電車の吊り革だ。肩から全体の重さをかけるだけ。手は絶対に握らない。スムーズなシフトの妨げになるし、音の柔軟性も失われる。

 

2.親指は添えるだけ

腕の自重が掛かっていれば握る必要はないし、おそらく握ると各指が正しい位置にはならない。拡張の際は必ず4指の音程が低くなっているはずだ。

 

3.親指は中指の裏側

これは腕から手の甲、各指のラインに影響する。親指が人差し指側にいると、肘が下がってしまい、腕の自重がかけられない。また、各指が広がらずに正しい音程を取れなくなる。

親指が人差し指側にいる人は、私は音程が悪くて押弦が甘々ですと宣言しているようなものだ。実際そうだし。

 

4.各指は立てる

分かりやすくいうと、手の甲を潰さないで全体的に丸みを帯びさせるということ。

これは慣れないとつらい。指の筋肉不足ですぐ潰れてしまう。楽器を弾かない期間があると如実に影響が出る部分のひとつ。

シュタルケルの教本はこの指筋を鍛えるメニューが満載だ。10分やっただけで指がプルプルしてしまう。

 

僕はこの問題を克服してから、アンサンブルでハモるようになったし、深くクリアでダイナミクスレンジの大きい音を出せるようになった。特にppの音の通り方が段違いによくなる。

弦楽器奏者はキーボードを買った方がいい

音程確認ってどうしていますか?

 

弦楽器はあらゆる音程を出せる反面、あらゆる音程を出してしまう。特定の音程を出せる楽器、ようはピアノがない限り自分の音感だけを頼りに練習することになる。

 

練習する時には音程に誠実であれ。自分の耳を過信してはならない。耳だけだと、変な音程が耳に染み込むだけで利点が一切ない。確実に正しい音程を出す楽器と一緒にやる必要がある。

 

かと言って住宅事情、経済事情もあるからピアノが家にある人なんて一握りだろう。そこでキーボードだ。

 

キーボードは優秀だ。ヘルツ数も調節できる。音色を変えれば持続音も出せる。録音機能もある。リズムシーケンサーも付いてる。ヘッドホンだって付けられる。ピアノよりよっぽど優秀。それが20,000円ほどで買える。

 

これを買わないメリットほぼない。100時間かけて、違う音程を弾く練習に100害あって一利なし。

 

僕の身の回りだけかもしれないが、音程に不誠実な奏者が多すぎる。不誠実というのは、音程が良い悪いではなく、音程を甘く見て適当に弾くその気持ちのこと。

 

あとレイトスターターにありがちな現象(僕もそうだった)。ポジションだけを信頼していく人。例えば3ポジにいるから4指はE s音の筈みたいな。いやそもそも、それホント3ポジにあたってる? 手の形崩れてるから3ポジに当たってても4指当たってなくね? みたいな。これは多分耳がないから。耳がないならそれこそキーボードなりと一緒にやらなければならない。そこに目を瞑って5年も経つと立派なクソ奏者の出来上がりだ。なんと不誠実な。

これ、チェロとビオラに特にいる。本当に不思議な音程を奏でて何も気になってないような人々。

 

幼少組にありがちな現象。ハイポジションの音高がやたら上擦る。自分の耳に自信があるから気が付きもしない。バイオリンにもの凄く多い。これも不誠実だ。

 

みんなキーボード買ったら、アマチュアのレベルは格段に上がると思うんだけどなぁ。

ハーモニーが分からない人

愚痴なような解決を求めてるようなネタ。

ハーモニー感覚が欠如してる人をどうすればよいのか。

 

弦楽器を弦楽器たらしめているのが、音程を自在に調整できること。要は純正律のハーモニーを実現できるということ。

 

完全調和なメジャーコードをアンサンブルで弾いたら、もうその世界からは離れられない程の快感だ。

 

ただ、アマチュアだとオーケストラでは実現は難しい。そもそもの技術もあるし、ひとつのパートの人数が多いから。

弦楽合奏も中々難しい。一人一人の音程感覚は微妙に異なるし、それを擦り合わせるには人数が多い。

 

やはりカルテットが最高の編成だと思う。もちろん最初からパシッとは合わない。アンサンブル・モンソロのメンバーも言っていた。だから例えば第1ヴァイオリンとチェロで完璧に合うまで合わせる。次は第1ヴァイオリンとビオラ、みたいな感じでひたすら細かくやっていく。すると、音程感覚がシビアになり、美しいハーモニーを奏でることができる。

 

ただ、これはハーモニー感覚がある人でないと絶対無理。今鳴っているハーモニーが合ってるか合ってないか分からない人、意外と多いのか。

 

というのも、単発企画で声を掛けられてカルテットに取り組んでいるのだが、メンバーに一人そういう人がいる。

 

完全5度が分からない。えっ?  チューニングどうしてんの?  って思っちゃうけど事実分からないらしい。長3度も分からない。

 

合わせていって、ちょうど決まった瞬間を教えるのだが、何度やっても修正しない。要は感覚が欠如しているのだろう。

 

一発で決めろというわけではない。コンマ秒で修正すればよいのだ。なのに、低い音程のまま、白玉を伸ばし続ける。こっちが発狂しそうになる。

 

これ、どうすればよいの?  合ってる3人が外してる人に合わせるの?  んなアホな。

 

僕なりの見解としては、組んではダメ。二度と一緒に弾かないようにする。今回は諦める。

 

これでとりあえず解決だが、根本的な解決ではない。そもそもB級チェリストの僕はどうやってそのハーモニー感覚を身に付けたか。

 

1.読み物で知識として純正律のことを学んだ。完全5度は平均律と比べて2セント高い、長3度は14セント低い、短3度は14セント高い、など。合わせて、旋律的イントネーションと和声的イントネーションの使い分けとか。

 

2.それを楽器で実践した。重音で弾いてみて。すると腑に落ちた。確かにハマる音がある。とても心地よい響きになるしらウネリがなくなる。

 

3.和声学を学んだ。とは言っても基礎的なもので古典派を理解できるようになるくらい。これで、自分の担当する音が何の和音のどの音を担っているか、事前に全部確認して、楽譜に音高の注記をメモっている。↑とか、↓みたいな記号で。

 

これで身に付けた。このうち、1,3は誰でもできる。やるかやらないかだけ。

2のハマった瞬間、これが分からない場合ってどうすればいいの?  そんなことあるのかよって思うけど。

 

それと、押弦の甘さでクリアな音程が出ていないのも原因な気がしている。

 

書いていて思った。これをちゃんと正直に伝えればいいんだ。あなたはハーモニー感覚がまだない。俺も最初はそうだった。俺はこうやって身に付けたよって。

解決策と具体的ソリューションを教えよう。あとは本人次第だ。

続・例のモーツァルト

なぜ、輝くモーツァルトを奏でられないか。さらに考えてみた。

究極を言うと、文化的土壌、言語の違い、民族気質の相違があるのは否めない。一つずつ拾ってみよう。

 

◆文化的土壌

ウィーンに旅行に行った時に痛感した。まずコンサートの量の違い。オケでも室内楽でも毎日バンバンやっていて、しかも安い。立ち見だと6ユーロとか。演奏者は一級。社交の場でもある感じを受けた。幼い頃からこの環境で様々な音楽に触れ合っていたら、当然耳は養われているだろう。

日本はどうだろうか。コンサートで言うとかなりの量をやっているが、月に1回以上行く人は稀だろう。結局良い音楽に触れ合っている時間が圧倒的に少ない。

 

次に、建物の構造。石造りがメインだ。当然音は響く。その音響の中で育ったら、音の出し方に違いが出るのは想像が付く。ハーモニー感覚も鋭敏だろう。

日本はというと、まずマンションだと音を出せない環境ばかり。一軒家だと木造で、音がデッドな環境だ。響きを感じる演奏が身に付きづらい。

 

◆言語の違い

これが一番関連があるかも。よく言われるのが、発音と音節。音楽は歌から始まっているから、言語で音楽は変わる。ドイツ語の強いアクセント、フランス語の何言ってるのか分からない流暢な感じ。全然違う音楽が出来上がるのは当然。

ドイツ音楽だったらドイツ語の発音が適しているだろう。逆に考えると分かりやすい。例えば越天楽をガチガチのアクセントで弾いてる人がいたら、なんだあれ?  ってなる。同じことを僕はドイツ人に思われているのだろう。

 

次に音節はリズムの違い。日本語は、あらゆる音に母音があり、一音一音区切られる。この感覚で外国の歌を弾いたら、おかしなところにアクセントがあり、全く違う音楽になってしまうだろう。

 

◆民族気質

民族気質なのか誤った教育なのかは判断がつかないが、日本のクラシック音楽はコンクールで優勝するためのメソッドだ。職人的に楽譜の再現性をひたすら追い求め、その先のことはない。なぜならコンクールの審査で対象とならないから。

このフレーズは秋を感じます。麦畑が一面に黄金色に輝いているところに急に雨が降ってきました。こんなことを音からイメージしても楽譜の再現性に関連はない。でも音楽で大事なことってこういうことだよね。

こういう教育を受けた人にレッスンを教わると、変なことになる。周りにもテクニックは凄いけど、全く好きになれないヴァイオリニストがいるが、こういった教育の犠牲者なんだなと改めて思った。

フレーズの山場で、「感極まるルバート」をしたら怒られる。そんな事は書いてないだろうと。でも自然の欲求だったらいいじゃない。

もしモーツァルトにレッスンを受けたとしたら、彼はそんな事言うか?  逆の意味で怒られそう。

 

以上、これを言い出すと元も子もない考察をしてみた。この中で取り組めるのって言語と民族気質のことだよね。外国語を学べばいいし、ヨーロッパに長く住んでいた方に教えてもらえばいいんだもん。なんとかなりそうじゃない?

 

 

“例の”モーツァルト

一月ほど前だったか、ピアニスト小菅優さんのサントリー音楽賞受賞記念コンサートでのモーツァルトを聴いて、えらく感銘を受けた。

 

http://cellomemo.hatenablog.jp/entry/2019/08/05/145447

 

私の所属するアンサンブル団体で、モーツァルトをガチンコでやってみたいね、って話が出てきて、あの時のことを思い出した。

 

なぜ我々はモーツァルトを演奏できないのだろうか。なぜ、あの退屈な“例の”モーツァルトになってしまうのか。なぜ小菅優さんのようにできないのか。

 

そりゃ、文化土壌が違うとか(小菅さんはドイツ在住だし)、経験が違うとか色々あるだろう。でも、具体的に何でなの?  我々はどうあがいても、あの輝くモーツァルトを弾けないの?

楽譜を弾くだけだったら、余程他の曲の方が難しい。シンプルだからバレるとか、わけ知った顔でもの言う人いるけど、具体的に何なの?  できない抽象的な理由は何の役にも立たない。できるようになる道筋が欲しい。

 

と、ここまでボヤき。小菅優さんのベートーヴェンソナタ全曲集にヒントはあるかもしれない。で気付いた点は、2つ。

 

まず、カンタービレである。どんなフレーズにも歌う。そこには緩急があり目的地がある。

我々が弾くベートーヴェンモーツァルトの旋律って器楽的に捉えてしまって、中々カンタービレにできない。エチュード的になりがち。もしかすると、教育的背景も大きいのかも。

 

次にイン・テンポに拘らない。自分の情念に従って気ままに歌ってる(それでも逸脱しないのは脱帽)。エチュード的とさっき書いたけど、まさにこれが障害となる。考えてみれば、演奏中にテンポがエラく乱れてるぞ! けしからん!  ってのは「テンポが乱れてるのは良くない」という思想の元のセリフだよね。聴いていて気持ちよければいいじゃない。気持ち悪いのはけしからんけどさ。

その気持ち良い良くないは、個人の感覚によることが多いから、ここで文化的土壌によるセンス不足を露呈するかもしれない。でも、テンポ乱れはけしからんってのは、感覚じゃなくて思想だよね。

こういったエチュード的思想の非音楽的教育を、西洋音楽輸入して100年足らずの日本という国がしてきたことは否めない。ま、こんなこと言っても何にもならんけど。

 

ま、この2点に拘わって取り組んでみて、然るべき人のレッスンを受けてみてからまた考えるか。